親子が輝く、モンテッソーリのメッセージ

先日、まどあけずかん の記事の際に、盆踊りや夏祭りについてより理解を促すべく動いた結果のご報告。

結果は、 母 の思惑通りには行かず…
踊ってくれませんでした…
踊りの輪の中に入ろうとせず、終いには帰ると言い出し…

季節や日本の伝統的な行事に参加して親しみ、さらには知識を得るべく嬉々として連れていきましたが、ダメでした…
何かしら学んでくれていたら良いな…とは思いますが…

母の期待や熱心さが空回り。
まさに、母の心 子知らず。
本人が喜ぶことや興味があることを学習テーマにあげていかないといけないのね…と反省いたしました。

本人が喜び、自らやってみようと思わせるって大変なんだなと実感。
どうすれば、そんな気持ちを引き出せるのかなぁ…と考えていた時に読んだ本がこちら。

「親子が輝く、モンテッソーリのメッセージ」


こちら、モンテッソーリ教育の日本の第一人者と言われている方の著書
なるほど!と思わずにはいられないような、今の私に必要な内容でした

先程、私が目を向けてほしいなと思うことが、必ずしも子どもが反応し、興味を示してくれるかは一致しない旨を書きましたが、
それは、こちらの本で述べている、「敏感期」をちゃんと見てあげてないということになるのかなと感じました

「敏感期」…生物の幼少期に、ある能力を獲得する為に、環境中の特定の要素に対して、それを捉える感受性が特別に敏感になってくる一定期間のこと

そして、この「敏感期」の時に、子どもがしたいこと、興味があることをとことんさせることが、子どもの自立につながる大切な時期であると記されています
その際に大事な点は2点

①興味を持ったことを、やらせてあげられる環境であるか?
興味を持ったとしても、子どもが容易に自分でできるような環境作りをしているか
例えば、物であれば、すぐに手にとれるようにしてあるか、用具のサイズは適切か 等

②子どもに 『やって見せる』 ことをしているか?
興味を持ったことを子どもが再現しやすいように、 その やり方を やって見せる
ようするに、モンテッソーリ教育には、子どもは自分でやりたいけど、やり方を知らないからできない という概念が根底にあるようです

じゃあ、その やり方 って、どういう風に見せるの?と言うと…
①子どもがやりたがっている活動を一つだけにする
②その一つの活動を構成している諸部分を分析する
③必要不可欠の部分だけ取り出して、ゆっくり、はっきり、順序立てて行う
④その行為を子供の前で「して見せる」
⑤「して見せる」とき、言葉を添えないで黙ってする。つまり、言葉と動作を離す
⑥して見せた後に、簡単に言葉で説明する

ようするに本人が興味のないことよりも、興味を向けたことに付き合おうほうが大事だと
特別に遊びに連れ出さなくても、掃除や洗濯物を畳む、飲物を自分で用意する等、日々の生活上の身近なお手伝いや作業を本人の納得のいくまでさせてあげることが大事だと
とすると、盆踊りの練習は 母 の押しつけだったなぁ…と言うことになりますね

モンテッソーリ教育では、興味のあることを子ども自身が自由に選ぶところからスタートする、 「活動のサイクル」 を知り、子どもの邪魔をしないことを提唱しています 

①自由に選ぶ→②繰り返す→③集中する→④完了感をもって終わる = 子供は安定し、素直になり、他の人にやさしくなり、自立の程度がひとまわり増す

母 は、このサイクルを歩む あっくん に対して、途中で邪魔をしていることが頻繁にあったような気がして反省…です

子どもにとって、身近なことを、生活に沿った作業を与えること
特別なものは実は必要がないんだなぁと感じました

子どもは、自分で「自由に選んだ」ことは続けるし、繰り返す
大切なのは、遊ぶ場所ではなく、興味を持つ内容に心行くまで取り組めるかどうかのようですね

なんだか、こういう育て方がいいんだ!とか、早期教育だ!英語だ!と世の中の育児情報に、若干振り回されていたような気がします

周りの情報よりも何よりも、 あっくん をよく見て、 あっくん の興味があること、したいこと、行動の背後にある意味を考えて、援助してあげることが大切だと気付かされた一冊でした